早渕川歴史紀行

駒井 文造

早渕川の源流部、美しが丘西、保木地区は、その昔はのどかな雑木林の続く里山であったであろう。
その名残り面影がそこここに未だ残っている源流部から鶴見川との合流点に到るこの地区は平安時代末期から歴史の宝庫として、寺社、仏閣、史跡が散在している。
この地に仏教が古くから入り、かなり浸透していたことが残っている。

 まず源流部からみていくと近世には「石川村」と言われ平凡な農村であった。
石川の地名は、中世の文書にも出てくるほどの古い地名である。石川の地は、古代官道の「東海路」が通り、中世には「鎌倉街道」の「中の道」と、「中の道」の支道も通っていた。
また、中世の石造物である「板碑」も多数出土し、地区の仏教浸透を物語っており、当時の武士層の居住や中世集落の存在を裏付けている。

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