生き物こぼれ話(その27)

 この写真はソバ畑です。小高い丘一面に可憐な花を咲かせております。タデ科の一年生作物。原産は北アジアと言われています。

 ソバは寒冷な気候の、荒地にもよく育つ特徴を持っており、凶作に備える救荒作物(きゅうこうさくもつ)として育てられてきました。

 ソバは種をまいてから75日程度で収穫できます。米がおよそ120日、麦がおよそ300日で収穫されるのに比べ、驚くほど成長が早い植物です。

 むかし農村を度々襲った冷害から、人々を救った作物の一つでした。イネの穂が出穂(しゅっすい)する8月上旬頃、イネの開花状況を見て、冷害の症状が著しいときには、急いでソバを蒔きました。収量は少ないけれども生育が早いため、農民を飢えから守ってくれた作物でした。

 

 ソバは火山灰地のような痩せた土地でもたくましく生育します。早くてそのうえ強い! ソバが救荒作物と言われる所以です。ソバには春に種を蒔いて夏に収穫する夏ソバと、夏に種を蒔いて秋に収穫する秋ソバがあります。

 ソバをゆでた後のゆで湯を飲む習慣があります。ソバのタンパク質は水に溶けやすいので、これを飲むのは合理的な利用方法です。たぶん経験則で始まったことと思われますが、このように生活に密着した先人たちの多くの知恵を見ることができます。

 今回はソバを素材にしながら救荒作物についてのお話です。救荒作物にはソバの他に、アワ、ヒエ、サツマイモ、ジャガイモ、サトイモなどがありました。曼珠沙華(マンジュシャゲ)の名で知られるヒガンバナも救荒作物として人家近くに植えられたものです。

 サツマイモはヒルガオ科の多年草。コロンブスによってスペインに伝えられたと言われております。やせ地でもよく育ち強風にも強いので重要な救荒作物でした。日本には最初に薩摩に伝来したのでこの名があります。
 サツマイモが全国的に普及したのは、幕末近くになってからと言われております。享保の大飢饉後、青木昆陽が薩摩藩から取り寄せた種芋を用いて現在の小石川植物園で試しました。やがて幕府の施策として普及が図られました。干ばつに強くて収量が多く、我が国に多い火山灰性の土壌にも適していたので、救荒作物として全国的に広がりました。

 ジャガイモは、日本にはジャワ(ジャカルタ)から伝来しました。そのためこの名があります。ジャガイモは暴風や低温に強く、冷害で米麦が凶作の年にも安定した収穫がありました。天明、天保の大飢饉を救った救荒作物でした。同じような事例は海外でもたくさん有るそうです。本格的に普及し始めたのは明治以後のことのようです。

 集落にはそれぞれ鎮守の森が有りました。シイやコナラなどドングリ系統の木がたくさん植えられています。それらはイザと言う時には食べられる木でした。鎮守の森とは万一の飢饉に備えた食料庫の役割も果たしていたのです。それらは救荒植物と呼ばれております。

 大晦日には年越しソバを食べる習慣がありますが、その由来については、ソバが切れやすいことから旧年の苦労や災厄を切り捨てるという縁切りソバ説。さらに、ソバがよく伸びることから、寿命や家運などがよく伸びるように願うためという説。鎌倉の頃、年を越せない町民に世直しソバを振る舞ったところ、翌年から運が向いてきたことから広まったという運気ソバ説など有りますが、一番多いのは、来年もそばの人と仲良くという説でしょうか。

こんなお話は興味が有りましたでしょうか? 最後まで読んで下さって有難うございました。

(財団法人日本自然保護協会・自然観察指導員 小 原 芳 郎 記 )


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