生き物こぼれ話(その7)
 この花はカトレアです。ラン科カトレア属、ランの女王ともいわれ洋ランの代表種。カトレアの花はいろんな儀式に際して、慶事はもちろん仏事でも数多く用いられるようになりました。

 名前の由来はイギリスの園芸家・カトレアからつけられたと言われている。その華麗な花にちなんで花言葉は、「華麗な貴婦人」。

 そもそも、花にはどんな必要が有って、このように美しく咲くのだろうか? 菊は菊のように、ヒマワリはヒマワリのように、そしてスイセンはスイセンのように、植物の種類が違えば花の形もみな違うのはなぜだろうか? 今回は、そのような「隠された植物のこころ」についてのお話です。
 植物は動物のように相手を求めてさまよい歩いたりできないので、花粉を運んでもらういろんな方法を開発してきました。風によって運んでもらう場合(風媒花)には、花粉が何処に飛んでいくかは全くの風まかせ運まかせにならざるを得ない。花粉症で有名な杉の場合には、うまく、めしべの柱頭に到達するのは、100万個に1個くらいだろうといわれています。つまり風媒花の場合には花が綺麗である必要は全くないが、極めて効率が悪い。

 次に、あちこち動き回る生物である昆虫に頼んで花粉を運んでもらうことにしたグループ(虫媒花)がいます。昆虫だけではなくてメジロのような小鳥を頼りにしているツバキや、こうもりを頼りにしているユッカなどもいます。花の側からみると、花粉を媒介してくれる昆虫(訪花昆虫=ポリネータ)が必要です。そこで昆虫が自分の花に来たくなるような仕掛けをしました。それが花の色であり、香りであり、花の奥に用意された甘い蜜です。その見返りとして花粉を運搬してもらうわけです。

 ところがそこで別の問題が起こりました。花の側はやってくる虫を選ぶことができません。甘い蜜を求めていろんな虫がやって来てくれる。しかし動物のように、気にいらない相手を追い払ったり拒絶したりといった積極的な行動をとることが、花にはできない。その場合なにが困るかというと、虫は種々雑多な花粉を持ってくることになります。たとえばボタンの花にフジの花の花粉を持ってきてもらっても、迷惑なだけで授精は起こらないし種にもならない。

 一方、花の蜜だけ吸って花粉を運んで呉れなかったら(盗蜜)、これも何にもならない。そこで蜜を吸おうとするとどうしても花粉に触れざるを得ないように、蜜の位置を奥に奥にと移動しました。虫の側でもあの花の蜜が自分たちの好みだとなると、同じ種類の花を探し出して繰り返し訪れるようになります。こうして特定の虫が、混じりけのない花粉にまみれて同じ種類の花を探して飛んでいってくれる、という関係が出来上がります。

 どんな虫が何処の馬の骨の花粉を運んでくるか分かったものではない状態であっては、他の花に比べて相対的に不利になりますから、自分自身が生き残れないことになります。かくして花は、他の花にはない特徴を求め、個性を強調する方向へと進化していきました。地球上の花がバラエテイに富んでいるのは、こうした進化の結果と考えられています。

 植物経済学という分野があります。植物の形状は、それに要するコストとリターンとの相対的な関係によって決まるという前提で物事を見る考え方です。綺麗な花を咲かせるということは花にとっては大変なコストがかかることです。植物は自身の生存に必要な以外のことは決してしません。そうでないと相対的に競争力の低下を招きますから自身が生存できなくなるからです。

 かくして花の形はみんな違うことになりましたが、梅、りんご、桜、バラ、クヌギ、コナラ、クリなど、木の種類によってどうしてみんな木肌が違うことになったのかは、今日まだ解っておりません。

こんなお話は興味が有りましたでしょうか? 最後まで読んで下さって有難うございました。

(財団法人日本自然保護協会・自然観察指導員 小 原 芳 郎 記 )

戻る