2005年04月05日

ユニバーサルデザイン( UD ) (26) 

ユニバーサルデザイン( UD ) (26)                青葉区  小池久身子

   「 vol 26  いつかは だれでも 高齢者   」
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 若い世代の人に「年をとる」ということを理解できるでしょうか。
 手足の関節痛、視野の狭窄や白内障、難聴など、高齢期に
 生ずる身体的な衰えは、健康な若者にとっては現実味のない
 ものでしょう。

 では自分がいざ高齢期を迎えた時、社会はお年寄りを歓迎
 してくれるでしょうか。

 自分が「高齢者になる」のは遠い将来のことなのだから、その
 時に考えればいい、そう結論を先送りする人は多いかもしれません。

しかし「その時」は誰にも確実に訪れます。こう考えてみると
今日本の直面している『高齢社会』とは、決して「人ごと」では
 なく「自分のこと」として、誰もが考えていく必要があるのでは
 ないでしょうか。
 
 ユニバーサルデザインの国際的な第一人者として活躍する
 米国の工業デザイナー、パトリシア・ムーアさんが先頃来日
 しました。

 彼女は1980年、26歳の時に85歳の老女に巧みに変装し、
 ニューヨークやボストンなどの都市を歩き、街の様子や人々
 の反応を身をもって体験します。そしてこうした調査の必要性
 を痛切に感じ、以降変装して3年間をかけて全米百ヶ所以上
 の都市をまわりました。

 26歳が85歳になって実感した物理的、精神的様々なバリア。
 彼女はこれを物語のような文章展開で著書にまとめ、
 1988年『変装 - 私は三年間老人だった』として出版しました。

 この本は、日本でもまちづくりに意欲を燃やす人々の熱意に
 支えられ、このほど復刊されました。ストーリーは17年の年月
 を経た今も色あせるものではありません。

 ユニバーサルデザインの教則本としてこれからも支持されて
 いくものであることを期待しています。

 * 参照著書の紹介 *

パット・ムーア 著  木村治美 訳
 『 私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること 』
  朝 日 出 版 社
 

2005年03月21日

「 vol 25  窯 元 の 力 こ ぶ 」

「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」
ナビゲーター の 小池 久身子( Ko-kumi ) です

 あらぁ またお茶碗割っちゃった・・(^^;
 そそっかしやの私 こんなことで
 いままで どれだけゴミを増やしてきたことか・・
   「 vol 25  窯 元 の 力 こ ぶ 」
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 私達が普段何気なく使っている食器。使う人のニーズは様々です。
 だから色々な人の使い勝手をたくさん知って、それを器づくりに
 活かしていきたい、デザイナー達はいつもそう思っています。でも、
 こうしたデータ、簡単に集まりそうなものなんですが、案外難しい
 ところが、悩みのタネでもあります。
  
 では、様々な利用者の使い勝手とは?
 
 毎日使うものだから、しっかりと持ちやすいもの。落としにくいもの。

 箸使いの慣れない幼児には持ちやすいスプーンとか、汁がこぼれ
 にくいお皿がいいわ。(新米ママ)
 
 学校給食のプレートはどうもねぇ・・。ワンプレート(一皿)だと、
 子どもが器を持って食べることを覚えないし、犬食いするし。
 (小学生のお母さん)
 だって!大量の食器を洗う時、ワンプレートはラクなんですよー。
 (給食のおばさん)
 陶器は重いので、できればプラスティックがいい。子どもが持っても
 軽いし、割れないし。学校の階段で給食運びはとても大変なんです。
 (学校の先生)

 手が不自由な人や握力のないお年寄りには、軽くて持ちやすいもの。
 持ったときに熱くないもの。
 また、黒や土色の飯椀はご飯の白さが引き立つので、視力の衰えた
 方には好評なのです。
 こぼしたときの後かたづけも大変なので、かえりふちがついていたり、
 中仕切りのあるお皿がいいんですけれど。(介護施設)

 取っ手のある器は確かにありがたいのですが、いかにも「つけてやった」
 といわんばかりのものは、福祉用品のイメージがしてどうも・・。
 色やデザインに工夫があったりすると楽しいね。(高齢者の言い分)

 そうそう、白い手すりなどは病院のイメージがあるため、一般住宅には
 不評というのと同じです。

 「障害者用」とか、「高齢者用」と銘打った商品、確かに便利そうだけど
 結局売れないのはそのためなのです。

 熊本県北部では多くの窯元で「UD陶器」の創作活動を展開しています。
 日常の暮らしからまちづくりを考える女性の会が、介護施設をはじめ、
 まちの様々な現場を歩き、ニーズを丹念に拾い集めて窯元を支援して
 います。今の自分は元気でも、いつかは同じ悩みを抱えるかもしれない
 と考えているからです。
 
 一見普通。でも、さまざまな工夫の詰まった「UD陶器」をご覧ください。

Rimg0191.jpg
返しが片側についていて、スプーンでも最後まで食べやすい食器です。

Rimg0190.jpg
手が乾いたり、握力が弱くなっても、器を落としたりするのを防ぐため、手の当たる
部分に横すじの凹凸が入っています。

Rimg0188.jpg
どっしりとした大皿は返りふちがあり、スプーンでの食事を助けます。スープカップ
には抱えやすく支えやすい平たい耳がついています。

Rimg0183.jpg
高台に切り込みがあり、指で食器を安定させられる飯椀。一枚で数種の惣菜を盛りつ
けられる。

Rimg0184.jpg
黒と土色の飯椀はご飯の白さが際立ち、視力が衰えた方に好評。

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写真提供先 : NPO法人 ワークショップ「いふ」
詳細情報の問い合わせ workshop.if@nifty.com
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2005年03月05日

「 vol 24  空 港 の U D 」

「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」
ナビゲーター の 小池 久身子( Ko-kumi ) です 
    「 vol 24  空 港 の U D 」
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 2月17日に、「中部国際空港」が開港しました。関西空港以来11年ぶりの国際空港の開港です。国内24都市とつなぎ、今月開幕される「愛知万博」では内外からのお客を迎える役目を担い
ます。
 
 いよいよ日本の国際空港は成田空港も含め、三大拠点時代を迎えます。

 中部国際空港は利用者の利便性が強調され、「駅から機内まで段差なし」を目指した建設が進められました。誰でも、またどんな場面にいても「移動がスムーズにできる」ことは、大きな利点です。

 空港と名古屋市内間の交通アクセスについては、中部国際空港(常滑市)の場合、特急を使って最短28分で名鉄名古屋駅へ到着できることがメリットとされています。

 従来の名古屋空港(小牧市)は、名古屋市から約9キロの好立地ながら、鉄道が連結しておらず、他の交通機関と乗り換えに時間や手間がかかって不便であるという点を検討したものであるそう
 です。

 また空港内でも、「段差」があったり通路などの「狭いスペース」は、障害者や高齢者ばかりでなく、スーツケースやカートを抱えて歩く旅行者すべてが制約を受けるため、これらを設計の段階から解消
 しておくことは空港における必須の整備です。
 
 今回はそのため、国際線と国内線の搭乗口を同じフロアにしたり、「動く歩道」を設置して乗り継ぎのスムーズ化を実現しました。
 また高低差のある場所はゆるやかなスロープをつけたり、 トイレのブースにもスーツケースの持ち込みができるような、通常より広いスペースが確保されているそうです。

 こうして「利用者の円滑な移動の連続性」が確保されたユニバーサルデザインの空港、残念ながら私はまだ写真でしか見ておりません。
 この際、愛知万博ついでに足をのばしてみましょうかしら。
 
 蛇足ですが、中部国際空港の愛称は「セントレア」。 
 「南セントレア市」構想は合併破綻で会えなく消え・・
 空港にとっては話題が増えて ラッキーだったかも !?

2005年02月20日

ユニバーサルデザイン( UD ) (23)

vol.23   2 0 0 7 年 問 題       青葉区  小池久身子

 1974年に出版・映画化されて世の中に大ブームを巻き起こした
 「ノストラダムスの大予言」は、1999年の人類滅亡。
 滅亡といわれた年を何とか経過して、今は21世紀。ここで再び
 「20XX年に何が起こる」といった経済予測が注目されています。

 かつては「2000年問題」。日付が2000年に切り替わったとたん、
 コンピューターが誤作動を起こし世の中が大混乱する、と当時は
 大騒ぎになりました(今となっては、喉もと過ぎてしまいましたが)。

ここ数年は「2015年問題」が論議されています。2015年に団塊
 の世代が本格的に高齢者の仲間入りをし、「4人に1人が高齢者」
 の時代を迎えます。「超高齢社会」に対応した整備を加速すべき、
 というもの。

 そしてこのところ、にわかに「2007年問題」が浮上してきました。
 
 来る2007年(今から2年後)に予測されること。
 
 ・増加の一途をたどってきた日本の総人口は、減少へと転じます。
 ・少子化の進行により、受験生は大学全入時代を迎えます。
 ・この前後数年間にわたって、団塊世代は定年退職を迎えるため、
 生産年齢人口(15歳から64歳の人口=働き手)は激減します。
 
 もっともこれは「数の上」の話で、実際どんな世の中になるのか、
 その時でなければわからないという側面もあります。

 身近で現実的な予想とすれば、定年を迎えた夫はとりあえず家に
 いて、元気な妻が趣味に地域活動にと外へ出かけていく。
 こんな逆転現象のほうが可能性大ではないでしょうか。
 
 現役時代は仕事にかまけ、子育て、家事は妻にまかせっきりだった
 団塊亭主に、地域参加や家事交替はスムーズにいくもんかいな・・?
 その時あわてないよう、地域社会で生きる準備は今から必要かも。

 また、来年4月に施行される「改正高齢者雇用安定法」では、65歳
 までの定年延長も視野に入ってきます。

 ♪・・人生 いろいろ 生き方 いろいろ
 組織人として区切りをつけ、新たな分野へ挑戦するもよし、
 企業人としてもうひと花咲かせるのもよし!
 みなさまのご健闘を期待します。

2005年02月05日

「 vol.22    「障害者の必要性を形に」

 「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」vol.22
ナビゲーター の 小池 久身子( Ko-kumi ) です

 とじまり よーじん 火の よーじん ~~♪
 火災の多い季節 火の始末 お忘れなく
 
 そういや マッチの発祥は横浜だ!
 市長がFM で 宣伝してたっけ・・

 「 vol.22    「障害者の必要性を形に」
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 「必要は発明の母」といわれますが、どの時代にも「必要性」が新しい技術
 を育て、時代の技術を更に進化させるということがあります

 
 私達は日頃障害者に関するものは障害者しか使わない、そんな風に思い
 込んでいないでしょうか?おもしろいことに、昔も今も障害者にとって使い
 やすいものが、実は健常者にも使いやすいものになった、そのような例は
 いくつもあるのです。

 例えば 「ライター」。これは大戦の時に片手を失った兵士が、両手でマッチ
 を擦ることができず、片手で火をつける道具はできないだろうか?こうした
 必要性からライターが生まれました。

 「電話」を発明した人は? グラハム・ベルです。彼の奥さんは耳が聞こえ
 ませんでした。彼は耳の聞こえない人に音を届ける道具を作ろうとして試行
 錯誤し、電話を開発したのでした。

 その当時から考えれば現代の通信技術は格段に進化しました。今や聴覚
 に障害のある人は、電話よりもファックスや携帯メールの機能を享受して
 いますし、これらの通信機器は誰でも使える汎用品として、世の中に普及
 しています。

 キーボートーを目にもとまらぬ早さで叩くこと、これを「ブラインド タッチ」と
 言いますね。 目の見えない人が文字をきちんと書くにはどうしたらいい?
 この点を考慮して開発された製品がタイプライターの原型になっています。

 タイプライターはもともと、目の見えない人が墨字を書く為のものでした。
 ペンにインクをつけて書いていた時代には、「行」をきちんと揃えて書くこと
 は難しいことだったのですね。
 
 日本でも「筆と墨」の時代がありました。行を揃えてまっすぐ書いていくのは
 は難しいことでした(多分ね)。現代社会に生きる我々だって、罫線のない
 葉書やノートにまっすぐ書けと言われたら、とても苦労しますよね。

 これがワープロやパソコンの出現によって、文字は誰でも体裁良くきれい
 に書けるようになりました。(昔は「文字は人柄を表す」などと言われました
 が、おかげで書く人の性格は見えなくなってしまいました・・)
 
 障害者を支援する技術を、AT(Assistive Technology)と言います。これは
 必要とする機能を補おうとする技術開発が、実は汎用製品を生み出すため
 の原動力となっている、とも言えるのです。ATの分野は、今後マーケットを
 牽引するものとして大きく注目されています。
 

2005年01月24日

 「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」Vol.21

 「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」Vol.21
ナビゲーター の 小池 久身子( Ko-kumi ) です。

 《 2004 年11月 人事異動 》

  壱万円札 福沢諭吉(留任)
  五千円   樋口一葉 (退任 新渡戸稲造)   
  千円     野口英世 (退任 夏目漱石 )  
 
 あれ?二千円札は?( ・・ ウラ面に ひっそり 紫式部・・ )


      「 vol 21   二 千 円 札 は ど こ に ? 」
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 先日あざみ野駅で、券売機の横に「新札使えます」の張り紙を見つけ
 ました。この新札とは、2004年11月に新規発券された「一万円」、
 「五千円」、「千円」。偽造を防ぐため紙幣に「すかし」を入れたことが
 注目点だそうです。
 
 

そんな意図に反し、このところ多発する「新札偽造犯罪」。技術革新が
 進み、「カラーコピー」が容易にできる環境が、このような新たな犯罪を
 つくり出したともいえます。
 
 遡って2000年夏、ミレニアム記念として「二千円札」が登場したころ、
 同時に「新五百円硬貨」も発行されました。これは当時、韓国のウォン
 硬貨を使った変造硬貨の流通に悩んでいた政府が、偽造対策として
 新硬貨発行に踏み切ったものです。
 
 しかし発行直後、
 銀行でお金をおろすと、無理矢理二千円札でくれる、とか、
現金支給の給料が、ぜ〜んぶ二千円札だった、とか。

 また自動販売機ではこんな現象が、
 旧五百円玉は使えず → 千円札を入れる → お釣りは旧五百円玉 
 旧五百円玉は機械で「使えない」と返しておきながら、お釣りで「使う」
 とはなにごとじゃ!
 世間では、人々のこんな不満がよく話題にのぼりました。

 一般的には新札や新硬貨が流通し始めると、サイズや文字・絵柄を
 対応させるため、機械の仕組みの修正が必要になります。この切り替え
 作業は複雑で長期化するため、駅の券売機や自動販売機など消費現場
 ではすぐに新札が使えない、といった不便はよくあることです。

 人のための「技術革新」が人に不利益を生じさせる。 これからの時代、
 そんなジレンマを抱えながら技術は進化し続けるのかもしれません。
 
 さて、鳴り物入りで登場した二千円札。発行されて既に4年経ちますが、
 普段二千円札にほとんどおめにかかる機会がないような気がします。
 今でも「現役」のはずなのですが、いったいどこで活躍しているのやら。
 (そりゃ銀行へ行けば、喜んで両替してくれますけれど)

 買い物でおつりをもらう時など、ごくたまに二千円札が混じることもある
 のですが、私は何となく「来たらすぐ」使ってしまいたい気になるのです。
 実際、スーパーのレジでも二千円札はあまり市民権を得ていないよう
 ですが、原因はどこに?(一度データをとってみたいですね)
  
 社会のシステムを変えるということは、切り替え直後は混乱がつきもの。
 それが落ち着きをみせ、社会の一部としてなじむには長い年月が必要
 であることは理解できます。

 しかしこうした現場の混乱が、施策をつくる立場の人に「本当に」届いて
 いるのだろうか・・ 疑問です。


 
 

2005年01月09日

ユニバーサルデザイン( UD )Vol.20

「 ユニバーサルデザイン( UD ) 」
ナビゲーター の 小池 久身子( Ko-kumi ) です。
 
    「  vol 20   熊 本 の ユニバーサルデザイン 」
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  昨年暮れ、「UDリポーター講座」の開催のため九州熊本へ行きました。

 熊本県では女性知事が県政にユニバーサルデザインを取り入れ、今年5年目を迎えます。背景には熊本県の高齢化率が 22.8%(全国平均19%)と全国を7年ほど先行しており、そのための社会整備が急務であること。
 
 UDを県民の身近なものとして裾野をさらに広げるべく、今年はリポーターを公募して県下各地の温泉旅館やホテルを巡り、利用者の視点から建物のバリアフリー度やサービス度などを取材し、記事を集めて「UDマップ」を作成して県のHPで公開する、というプログラムを実施しました。
 
 講座は一日行程を組み、午前中はUDの講義、午後は施設へ出向いて実地取材をします。参加者は学生、高齢者や主婦など男女半々、年齢や身体状況は様々ですが、共通項は「ユニバーサルデザイン」と「取材」の初心者であるということです。
 
 このような講座では机の上の講義も必要ですが、時には教場を外に移し、実際に体を使ってみると、論理とはかみ合わない点を数多く発見します。「学ぶ」ということは、知識を得て議論を重ねるだけでなく、それを現場で検証して初めて深まるものと思います。

 午後、近くのホテルを体験取材した時、「受講生の声」として実感のある気づきがいくつも挙がりました。

 例えば、館内にある看板などの文字    6 8 9  は、 ブロック体などで表記されていれば 「6」・ 「8」・ 「9」 は明確にわかるが、字体によっては、「6」が「8」に、「9」が「8」に見えてまぎらましい。

 部屋番号を示す案内板が「ピンクの地にベージュ系の文字」など同系色を使っているものはとてもわかりにくい。案内板に日光(あるいはライト)がちょうど当たるように設置されているが、ある角度からはまぶしくて見えにくい。

 これらは、建物の仕様は基準値の範囲で設計されており、何ら問題はないはずでしょう。ただ、若い設計者であればあるほど、館内の雰囲気を表現する為にコンセプト(センス?)を重視して「見た目の美しさ」にこだわる結果、利用者の使い勝手は置き去りにされてしまいがちです。

 もちろん「宿」である以上、一日の疲れをとり、癒しの空間を演出することも大切です。しかしそれと同様に、利用者の「わかりやすさ」も大切な視点なのです。

 身近な利用者がそれを教えてくれます。UDリポーターの記事は、今年早々にも、熊本県のホームページに掲載されます。
 
 ☆ 熊本県ユニバーサルデザイン・ネット 
   http://ud.pref.kumamoto.jp/index_main.asp


Posted by omni at 11:37